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人は才能を持っているが、ほとんどは気づかないままに過ごし、こんなものだと考えてしまう。どうしても『違う?』とミスマッチする人がいる。心の声も、可笑しな声があるもので、自然に振る舞える人がほとんどなのに、フィットできない人が出てくる。それを浮世と呼ぶが、自分のメガネが狂い、隣人とトラブルを起こしてしまう。でも、誰にも『うぬぼれ』と言うものがあるから、反省もせず『おかしな?』と逆恨みしだしたりする。ひとは愚かなもので、己が不遇なのは、星が悪いからとか、社会が可笑しいからと?外部や環境のせいにする。それが巡り巡って、自分を不幸に陥れるが、気づかずにいる。挙句に、親や身内や隣人が悪いとなって、凶行に及んだりする。でも誰も親は選べないし、気づけば、親や身内がいるから、原因を探しあぐね、逆恨みをしてしまう。自分で自分を痛めることになる。人間とは厄介な物で、その心に、時として鬼や夜叉がいて、隣人を殺し、家に火をつけたりする。内に魔者が住んでいたりする。そして自分は自分で御することできなくなったり、その結果、通り魔となったり、馬鹿げた運転をしたりする。どうしょうもないものを、お釈迦様は大きく抱擁し、諭すこともせずに、只只抱擁してくださる。それは、大宇宙かも知れない。古から未来まで、人間をやさしく包みこみ、世界が時に乱れても、憎悪が憎悪を誘発しても、光明で照らし、摂理を諭しもせずに、そのままでよいと許容してくださる。阿弥陀様や神様は勿論目に見えないが、かならずいらっしゃって、大宇宙の摂理を身をもってお示し下さっている。わたしは、いわゆる無神論者だが、そのような神は存在されていると思っている。人が、そのような存在から包まれ、育まれ、今日に至っていると確信している。ならば、無神論者ではない。と言えるかもしれない。このように沢山の原爆が地上に存在するが、そしていつも、その脅しが存在するのだが、もうその行使はないと確信している。それは人知を越えた存在が確かにあるからである。
おそれとは 人知を超えて そこにある 確かなことの 偉大なること
出来ようか 人が叡智を 超えること 大宇宙なる この世界では
おろかなる 人は己を 知らざるや その掌の いかに広きか
頭では 解っていても 疑いし その愚かなる 人の性なり
2024,12,20(金曜日)
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