司法書士 島田雄三事務所
不動産登記・商業登記・裁判手続・多重債務・ADR等お気軽にご相談ください。
<平日9:00〜17:00>    078-576-6356
司法書士業35年 神戸市兵庫区の地に根をおろし、実績と信頼をもってあなたのお悩み解決のお手伝いをいたします。 司法書士 島田雄三
ごあいさつ お知らせ 業務内容ご案内 事務所・スタッフ紹介 リンク集 ご相談・お問い合わせ
司法書士同友会ひこばえホームページ
 
事務所ご案内
 

司法書士 島田雄三事務所
〒652-0802
神戸市兵庫区水木通6丁目2番11号
TEL 078-576-6350/FAX 078-576-6351

メール相談はこちら

【アクセス】
・ 神戸高速大開駅より徒歩3分
・ 市営地下鉄上沢駅より徒歩5分
・ JR兵庫駅より徒歩7分

  地図
 
地図を拡大する
 
島田雄三の思い
 
「波濤の門」瀧川父子物語67
 いちとかつの父は長府藩士井上屯三であった。藩主毛利敬親の側用人であった。辨三の兄六郎の上司であった。馬関(下関)の欧州艦隊への砲撃時は、六郎はそれに加わった。屯三はその騒動の模様をつぶさに知らせを入れるため、山口にいる敬親へ早馬を走らせた。砲撃は、とんでもない反撃を喰らい、いたるところに火の手が上がり、陽も閉ざす有様であった。人々の喚き声は充ち、イギリス兵の上陸まで許してしまった。街は外形を留めぬ有様となっていた。惨憺たる完敗におわったのである。馬関の橋や道路は寸断、家屋の損壊は多数となり、死傷者の数はおびただしかったのである。剛毅な敬親もその知らせに愕然したが、「深追いするな」と、まるで勝ち戦の大将のような檄を飛ばしたのである。満更やせ我慢でもなかったであろう。藩政は攘夷、公武合体へと揺れ動き、その間に、京の情勢から長州攻めに対抗せざるを得ない状態となった。しかし敬親は一切愚痴を言わなかった。劣勢の中、高杉晋作率いる騎兵隊は反撃の狼煙を上げた。やがて薩長同盟を結び、そして統幕へと進んでいった。劣勢は必ずしも劣勢にあらず、長州藩士は勇躍として激動の中を駆け抜けていった。武士にとって、火の下をくぐるのは当たり前のこであった。この殿様は乳母日傘で育ったが、おのが心中の弱気を赤裸々に表すことはなかった。『長州藩はここにあり』そば近くに仕える屯三も、また荒波の中を、小船を操る船頭の心境であった。だが、何かしら時代の始まりを予感していた。それは何かの時代の終わりでもあったのであろう。『毛利家に仕え、子々孫々、われは果報者であった。この殿様は、命を預けるに足りる器量をお持ちである』と述懐していた。おそらく六郎や辨三もそんな心境であったのだろう。屯三にはたまたま嫡男がいなかった。しかし内心『もうそんな時代でない』とどこかで納得していたのである。男勝りのいちとかつ、これらもご先祖様の思し召しではないだろうかと感じていた。早くから父親を亡くした瀧川六郎、辨三のことはわが子のように思っていた。「まだ早い」というのに、六郎は歳を三つもさばを読んで、兵士にもぐり込んだ。あえてこれを咎めなかった。「死に急ぐなよ」と、それがはなむけであった。やがて二人して、勤王の報国隊にはいった。その勇心もよく理解できた。屯三は二人に先祖から伝わる大小を授けた。『それはお守りの意味だ』とは言えなかった。「存分にやれ」とは言わなかった。小声で、「達者で帰還せよ」とつぶやいた。しかし残念ながら、戻ってきたのは辨三一人であった。小さな骨壺に納まって六郎はそっと郷里に帰ってきた。明治二年も押し迫っていた。殿様も東京に上ってしまった。やがて長州藩も消えようとしていた。屯三は『いちは辨三に』と一人決めをしていた。傷心の辨三を呼び寄せて、「これを路銀にしろ」と、大枚の金を呈した。そしてこう付け加えた。「必ずいちを迎えに来るように」と、ごく当たり前のようにつぶやいた。辨三の瞳には、屯三の対座する姿が映っていた。「その覚悟であります」と答えた。コットンコットンといちが紡ぐ糸車の音が、縁側から聞こえてた。雲間から弦月がそっと覗いていた。・・・・続く
2018,5,25(金曜日)
 
 
 
  個人情報の取り扱いについて
Copyright (c) 2007-2014 司法書士 島田雄三事務所 All Rights Reserved,