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土曜日、新人研修に参加した。公共嘱託登記司法書士協会の紹介のために。考えれば、司法書士の認可を受けたのが52年前、実に時は経ってものだ。でも、昨日のことのように思えるのである。だって、来年は満80歳、そんなに歳を食ってしまったとはとても思えない。この分だと、90歳になっても、同じことを言っているかもしれない。だから、人は前へ向いて生きているのだろうが、思えば、沢山の方々がこの業界から去って行かれた。今は簡裁代理権も成年後見もできるようになったが、成年後見にいたっては、登記業務と肩を並べそうなほどに育ってきた。実にありがたいことである。それに引き換え、公共嘱託登記は?と嘆かわしいかぎりなのだが、私自身はそんなに悲観はしていないのである。でも,何かしら反省しきり、努力も足りなかった思っている。おそらく運もなかったのだろう。一司法書士としては、どうあがいても、戦ってはきたが、想像力も及ばなかったのだろう。どうせごまめの歯ぎしり、でもまだまだギブアップしていない。私はしぶとい人間である。「もう一矢浴びせずして,去れるものか」という思いが、今のいつわらざる心境である。じゃ、何ができできるというのか?と問われれば、答えようもないのいだが、必ずやれると確信しているのだ。ドンキホーテなのだろう。「信じることで、先張る開ける。なあサンチョよ」これは宗教的心境だが、ただの笑い種になるだろう。実際はないものはない。突破な男の歯ぎしりに過ぎない。消えれば、すぐに忘れ去られるだろう。私が入会したころには、尾藤貞夫さんという名物会長がおられ、万年会長だろうと思われていた。でも、やはりやめられた。しかも終わりには、追われるように去られ、実になさけなかった。何と会の金を使い込んだという嫌疑をかけられ、それが嫌で、私はしばらく総会に出席しなかった。後味の悪いことであった。晩節を汚された?その辺の事情は私にはわからないのだが。どうもそんなことが気にかかる年齢となってきたようである。終わりよければ、すべて良しというが、実にその通りであろう。峠から、そろそろ村の境が見えてきたようだ。もう少しだよ、しっかりあそこまで、はよ、はよ、この足で歩き、歩きとうそうではないか。GOORAKE.GO
明日あると 思う限りは 歩けるが 諦めたれば そこで顎だす
突破なり 自分が認め ひっこめば なるものさえも ならぬなりけり
いつの間に 時が経ったか 忘れたか 認めたならば それは諦め
2025,12,9(火曜日)
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